第二次世界大戦中オランダでの生活を生々しく描いた「アンネの日記」を読まれたことはありますでしょうか?
私は20年近く前に読みました。
当時13歳の多感な少女が書いた日記は家族との明るい日常そのもので、逆に胸にくるものがありました。
アンネフランクと言うごく普通の少女の日記なので、表現は陳腐で稚拙かもしれません。
しかしそこから想像される戦争の臨場感や緊張感は十分伝わる著書だと思います。
この少女の日記が世界的ベストセラーとなった今、アンネの日記はアンネフランクが書いたものではない!
別の作者がいる偽書説があるんです。
ゴーストライター説は、アンネフランクがアメリカの友人に送った手紙と筆跡が違うという指摘も理由の一つ。
友人への手紙と自分のための日記では、書き方が普通に変わると思いますけどね…
アンネの日記は別の作者が書いた偽書なのか?
友人に出した手紙と筆跡が本当にちがうのか調べてみました。
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「アンネの日記」は筆跡が友人への手紙と違う?
明らかに違う筆跡を見てください。
♯アンネの日記 pic.twitter.com/8BPYzEajNj— 北国雪子 (@GraysisK) March 25, 2014
「アンネの日記」の偽物説が出た理由はいくつかあるのですが、筆跡がちがうと言われたのは有名な理由の一つです。
それがアメリカの友人に送った手紙と日記の筆跡がちがうということ。
筆跡の件に関してはあらゆる機関が調査して結果を出しています。
アンネフランクの筆跡問題についてからお話していきますね。
日記とアメリカの友人へ出した手紙の筆跡が違う?
アンネ・フランク
アンネの日記で有名。しかしアンネの日記にはかなり疑惑がある。いやあった。
日記自体の捏造の可能性(一部はそうだった)。さてはアンネの実在(いた)。
そして本当は思春期らしい性の話もある。#AnnaFrank pic.twitter.com/U3bmsB8UvE— 🇺🇦Heisenberg Ausf.B🇺🇦 (@Heisenberg_PzVI) June 2, 2016
アンネの日記の偽書疑惑がでた理由の一つに日記の筆跡が上がっていました。
これは後に、アンネがアメリカの友人に送った手紙が発見されたことにより論争を起こしたのです。
アンネの日記の筆跡が右斜めに傾いた大人びた文字に対して直筆の手紙は丸っぽい文字。
見て分かるくらい、明らかに違うんですね。
しかし専門家の観点では、筆跡鑑定とは見た目だけで判断するものではない的なご意見。
紙質やインクの成分など細かく照合して判断するものだと言ってます。
アンネフランクの直筆と筆跡鑑定結果あり!

出典元:https://www.wikiwand.com/
筆跡問題については1990年に裁判所が同一人物の筆跡であると判決を下しています。
公にアンネの日記はアンネフランクの直筆であると認められたわけです。
明らかに見た目は違うのですが、公の機関が認めて裁判所が承認したので、同一の筆者と言うことで収まりました。
これは逆にいうとアンネの直筆の文書が他から出てこないので、証明しようがないというのもあるみたい。
学校にも行けなかった一般市民の少女の文書を探すのはほぼ不可能でしょう。
提出される筆跡がアンネの関係者ばかりからしか出てこないというのも問題だったみたいです。
いろいろモヤっとはするものの、公式でアンネの直筆日記であると認められたことは事実に違いありません。
「アンネの日記」作者はアンネフランクではない?
1947年の今日、アンネの日記が出版されました。戦時中の隠れ家での日記というと暗い内容だと思いますよね?
アンネは日記をキティと名付け、親への葛藤、他人への愚痴、恋心、たまに少しの反省と言い訳を親友にあてた手紙のように書きます。皆さんの想像よりずっと、普通の思春期の女の子の日記です。 pic.twitter.com/45SqlC4eva— 国際武道大学附属図書館 (@IBU_lib) June 25, 2019
筆跡以外の理由でも「アンネの日記」作者が別にいる説は唱えられています。
ですが、今のところ全ての説は論破されており、「アンネの日記」は本物であると証明されました。
ではなぜ別作者が書いたという話が出たのか、簡単にお話していきますね!
「アンネの日記」は別の作者が創作した説がある?
アンネ・フランク「アンネの日記」
世界一有名な女の子の日記
架空の友達に書いた手紙という体裁をとってる
13歳のアンネのモテ自慢読むとクラスの一軍にいたんだろうなー日記の後半で同居人の男の子と恋人になるの
付き合う前は「退屈な男子」とディスってたのに、惚気始めるのが興味深い pic.twitter.com/H75UxcLMwG— むいたん (@yasmuimui) June 2, 2019
別の作者がいる説はまず内容が13歳の女の子が書いた文章らしくないという理由のようです。
ただ私が読んだものは日本語訳された文庫本だったので、なんとも言えません。
基本的には思春期の女の子の恋の話や悪口、性に対する興味など普通の生活をつづったものでした。
ところどころに戦争の緊張感があったり、隠れ家での緊迫した生活状況があり、戦争と隣り合わせの生活というのは十分伝わります。
アンネはとても明るい女の子で、家族みんなで協力して隠れている生活と、戦争に怯えて過ごす夜の、感情の落差が逆に生々しく感じました。
また「アンネの日記」は父親オットーの依頼で自分が書いた、とメイヤー・レビンというアメリカ人が訴訟を起こします。
しかし裁判でレビン自身が、「アンネの日記」を題材にした二次創作の依頼を受けたが「アンネの日記」とは無関係と認めて、敗訴で決着がつきました。
現時点ではアンネの日記はアンネフランクの日記であると認められています。
アンネフランクの日記で父親が削除した部分はある!
今日は「日記の日」です。
1942年6月12日にアンネ・フランクによって「アンネの日記」が書き始められたことに由来します。
ナチス・ドイツ占領下のアムステルダムで迫害から身を隠すユダヤ人達の生活を書いた彼女の日記は、彼女の死後、父親のオットー・フランクの尽力によって出版されました pic.twitter.com/XcU6EAOgcn— 箸置きチーチー (@Titibymy) June 11, 2021
最初に発行されたアンネの日記は、父親オットーの判断で下ネタジョークや母親に対する悪口は削除されました。
アンネは恋や性に対して大きな興味を抱いていた時期で、自分の体の変化を鏡で見たり、大人たちがしていることを想像して悪口を書き留めていたんです。
その描写が生々しくオットーの判断で書籍から削除しました。
母親への悪口は妻に対する配慮でしょう。
またアンネ自身誰にも知られたくないページには上から紙を貼って隠していた部分もありました。
後にオットーの判断で削除された表現も含めた増補新訂版が発行されています。
政治的というよりは家族に対する配慮で編集したんでしょうね。
まとめ
「いろんなことがあるけれど、私はまだ人間は、心の底では善良なのだと信じています」
アンネ・フランク
(収容所へ強制連行される直前の日記より)#アンネ・フランク #一日一名言 pic.twitter.com/a6uHJzhKjZ
— まゆー (@degu_mayu) March 11, 2022
ここまでアンネの日記は友人への手紙と筆跡がちがうのか?
アンネフランク以外の別作者が書いたものなのかについてお話してきました。
いかがでしたでしょうか?
政治的な意味も含めて、あまり本物と思われたくない人達がいるのは事実です。
ただ、アンネの日記の真偽は置いておいて、第2次世界大戦の記憶がどんどん薄くなっている日本ですので、一度読んでみるのもいいかもしれません。
最後は収容所で病死してしまう短い人生を送った少女の記録です。
少女の目から見ていた戦争に巻き込まれた人々の真実を知るよい機会ではないでしょうか?
それでは『アンネの日記は筆跡が友人への手紙と違う?作者はアンネフランクではない?』はここまで!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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