アンネの日記は、第二次世界大戦中のオランダで、ナチスによるユダヤ人狩りから逃げるために隠れ家で生活していた状況を描写した少女の日記です。
2年間3世帯8人のユダヤ人が隠れ家でひっそりと暮らしていたのですが、どんな食事の内容で生活していたのでしょうか?
もちろんユダヤ人のアンネたちは隠れ家から外には出られません。
8人も隠れていたわけですから、けっこう食事問題は大きかったはずです。
となると食べ物はどこから入手できたのか、運んでくれた協力者がいたのかも気になります。
アンネの日記で描かれている隠れ家や収容所での食事内容は何を食べていたのか?
食べ物を運ぶ協力者がいたのかについてお話していきます。
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アンネの日記の戦時中の食事内容は?
読後アムステルダムの隠れ家にも訪れました。厳しいルールと食料もない狭い隠れ家に8人生活…想像を絶するものがありました。この本は生涯本棚に置いておきます。#読書の日 #読書好きな人と繋がりたい #読書好きと繋がりたい #読書 #読書の秋 #読書垢 #読書好き pic.twitter.com/vqJbo1w7SQ
— 書籍編集者 丑久保和哉 (@kazuya_united) October 28, 2021
見つかれば死が待っているフランク一家の隠れ家生活。
一体その食事内容はどんなものだったのでしょうか?
ただでさえ戦争で食料不足が深刻化していたオランダ国内で、外に出られないアンネたちは一体何を食べていたのでしょうか?
そして収容所に送られたあとの生活はどんなものだったのかも調べてみました。
隠れ家でフランク一家の食事は何を食べていた?

出典元:https://www.moguravr.com/
アンネたちは隠れ家で、主にじゃがいもや干し肉、ソーセージなど保存食を食べていたようです。
隠れ家にはアンネの両親と姉、ヘルマン一家3名、歯科医のフリッツの8人が同居していました。
そしてだんだんと三食まともに取ることも難しくなってきます。
豆やキャベツも多く食べていました。
主食のパンの入手が難しくなると、保存しているじゃがいもや粉末ジャガイモを食べていたようです。
もしかするとキャベツではなく、チコリという白菜のような野菜をよく食べていたかもしれません。
アンネが日記の中で、
「明けても暮れてもチコリ。シチューもスープもチコリ。チコリを見るのもいや!」
と記述しています。
収容所のアンネたちはどんな粗末な食事だった?
「エヴァの震える朝」エヴァ・シュロス アンネ・フランクの日記には描かれることがなかった強制収容所でのことが描かれていた。水も食料も満足に与えられず、髪は剃られてシラミで身体中がかゆい、そしていつガス室に送られて死ぬか分からない。これが現実で行われてたのか…と人の残酷な面をみました pic.twitter.com/SdE5UOK3Li
— おふとん (@c_ggys) January 22, 2018
アンネたちフランク一家は逮捕後にアウシュビッツに移送されます。
3日間の移送中は家畜用車両に1000人も押し込められ、ほとんど水も食料も与えられず、トイレ用の桶が一つあるような環境でした。
アウシュビッツ到着後母と姉とアンネは女子労働施設に送られます。
さらにベルゲン・ベルゼン強制収容所にアンネと姉は移送されますが、ここでも一日1つのパンと少しの水程度の食事。
髪は丸刈りにされ、服もボロボロの服のみでノミやシラミが蔓延するような劣悪な環境だったようです。
収容所ではあっという間に伝染病が広がり、アンネも姉のマルゴーもチフスで病死してしまいました。
フランク家の隠れ家の食べ物は協力者がいた?
『アンネの日記』だけではもったいない。支援者のひとりだったミープ・ヒースの『思い出のアンネ・フランク』メリッサ・ミュラーの『アンネの伝記』もかなり詳しい。
アンネだけでなくそれをとりまく人々が見えてきます。 pic.twitter.com/mtnRLKkFPx— amber (@shushu4646) January 11, 2019
外には出られないフランク一家他8名のために、隠れ家生活を支える協力者たちがいました。
その中でも食べ物を彼らに運んでいた協力者は、かなりの命の危険を承知でフランク家を助けていたんです。
その支援は戦後、唯一生き残ったオットーが収容所を出てからも続きます。
協力者の中でも、特に絆が深かった二人を紹介していきますね。
女性従業員ミープ・ヒースが野菜を入手
本日はオランダ人ミープ・ヒースさんの命日。ナチス・ドイツ占領下のアムステルダムで #アンネ・フランク 一家の隠れ家生活を支えた方。ミープさんが #アンネの日記 を発見・保存したおかげで私たちはアンネの日記に出会うことができ、本作も創られたのです。#アンネ・フランクと旅する日記 pic.twitter.com/4NnYNHQBXu
— 映画『アンネ・フランクと旅する日記』公式アカウント | 2022年3月11日公開 (@anne_movie2022) January 11, 2022
フランク一家の隠れ家生活を支えていた人物は4人いるのですが、中でもミープ・ヒースは父オットーと強い信頼関係で結ばれており、重要な協力者でした。
ミープは縁故が青果店を営んでいた関係で、命の危険はありながらも食料をなんとか入手し隠れ家に運んでいたのです。
やがてオランダ国内でも食料不足となり、オランダ人でさえ食料の入手が困難になります。
わずかな食料が配給されていたときも、ミープはフランク一家のために偽造した配給切符を入手し遠方の店まで行っていました。
そして長い行列にならんで食料を入手し、隠れ家へと運ぶという危険で大変な労力を重ねていたのです。
隠れ家がゲシュタポにバレてフランク一家が逮捕されたときに、ミープがアンネの日記をずっと隠し持っていました。
ユダヤ人を匿った罪は問われたのですが、ミープ達女性二人は逮捕を免れたのです。
ミープの機転のおかげで「アンネの日記」は世界に発表されたのでした。
終戦後、オットーが帰還したあともミープはオットーを夫婦で支えたと言います。
会社経営者クレイマンがパンを供給

出典元:https://artsandculture.google.com/
もう一人の協力者はヨハンネス・クレイマンです。
クレイマンはオットーの頼みでオットーの会社経営を引き継ぎます。
その後、親戚のつてのパン屋からパンを入手し、隠れ家にパンを運んでいました。
しかし、病弱だったクレイマンは戦時中のストレスや隠れ家での秘密のせいもあり、激しい胃潰瘍に悩まされていたようです。
フランク一家を匿っていた容疑で一時は逮捕されますが、非ユダヤ人と言うことで強制労働に従事することで命は助かります。
ところが病弱な体のせいで釈放されたのでした。
体は弱くても、とても明るい人物だったようでジョークで隠れ家の人たちを常に笑わしたり、胃潰瘍の入院も笑いでごまかすなどの人気者だったようですよ。
クレイマンも戦後、帰還したオットーを支えた人物の一人です。
まとめ
恥ずかしながら、今更「アンネの日記」を読みました(増補新訂版)。
アンネの分析力と、自身の思いを込めた文章に本当に驚かされた。多感な年頃の感情的な部分も含めて、アンネという一個の人間。
今、戦争のない国でこれを読む私には、”隠れ家”での壮絶な生活など想像もできない。
一生忘れない名著。 pic.twitter.com/ZrXjVjcF7v— (@__aliceblue) March 7, 2022
ここまで、アンネの日記に描かれている隠れ家での食事内容はどんなものだったのか?
食べ物を入手し運んでくれていた協力者がいたのかについてお話してきました。
いかがでしたでしょうか?
ミープ・ヒースというオランダ人女性がいなければ、アンネの日記が世に出ることはありませんでした。
戦争に屈することなく、信念を貫いた素晴らしい女性だったのでしょう。
またオットーから会社を引き継いだヨハンネス・クレイマンも素晴らしい人格者だったと言います。
彼らがいなければ一人生き残ったオットーのその後の人生は全く違うものになっていたかもしれません。
それでは『アンネの日記の食事内容は?隠れ家の食べ物は協力者がいた?』はここまで!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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