2025年6月6日、ディズニーの名作アニメ『リロ・アンド・スティッチ』の実写版がついに公開され、SNSなどでも話題になっていますね。
それにともなって、ふたたび注目を集めているのが「リロって発達障害の子なんじゃない?」という声です。
『リロ&スティッチ』を初めて観たとき、「この子、ちょっと変わってるな」と感じた方も多いのではないでしょうか。
お友達とうまく遊べなかったり、感情をコントロールできなかったり、妙にこだわりが強かったり……。私も最初は「クセのある子だな」という印象を持っていました。
でも最近、海外のブログやSNSを見ていると、「リロは自閉スペクトラム症(ASD)や発達障害の特徴がある子」として語られているのをよく見かけるようになったんです。
しかもそれは一部の人の思い込みではなく、専門家や多くのファンたちの間でも共通認識として受け入れられている様子。
どうやら、海外ではかなり前から「リロ=神経多様性(Neurodiversity)の象徴」という見方がある程度定着していたようです。
そこでこの記事では以下のことについてご紹介します。
- なぜ海外でリロが“発達障害の象徴的存在”とされているのか?
- 本当にそれは広く知られている見方なのか?
- そして、私たちがこの作品から何を受け取れるのか?
といった視点から、実際の専門家の意見や海外の反応も交えながら、詳しく紹介していきます。
映画を観たことがある人も、これから実写版で初めて触れるという人も、きっとリロの見え方が少し変わるはず。
どうぞ、最後までお付き合いください。
目次
リロの行動が“発達障害っぽい”と言われる理由
『リロ&スティッチ』を見ていると、リロの行動には「ちょっと普通じゃないかも?」と感じる場面がいくつも出てきます。
実際に、海外の視聴者や専門家の間では「これは自閉症スペクトラムの特徴に近いのでは?」という声が多数上がっています。
ここでは、リロの具体的な言動をもとに、どんなところが“発達障害っぽい”と捉えられているのかをまとめてみました。
発達障害っぽいリロの行動
空気が読めず、友達とうまく関われない
→ ダンス教室での孤立、暴力的な言動、誤解されがちな振る舞いなど
興空想的な行動
→ 魚(パッジ)にピーナッツバターサンドをあげないと天気が荒れると信じる、ぬいぐるみ(スクランプ)と日常的に会話する。
感情のコントロールが難しい(情緒の起伏が激しい)
→ 激しい怒りや涙、姉のナニに叱られると叫び出す、突然の行動、いじめっ子に攻撃的になる
ルーティンが大事で変化に弱い
→ 生活リズムの乱れで混乱する描写、独自のルールや行動パターンを持つ。
感覚に過敏 or 鈍感な傾向がある
→ スティッチを初めて見たときのリアクション、音や匂いなどへの反応
これらの特徴は、ADHD(注意欠如・多動性障害)や自閉症スペクトラム障害(ASD)の特性と一部重なるため、視聴者の間で「リロは発達障害ではないか」という推測が生まれています。
海外ではすでに有名だった:リロは“神経多様性”の象徴
スティッチの映画めちゃくちゃ久しぶりに見たけどリロのADHDっぽい描写がしんどくて前半すごくつらかった…、というかナニ19歳だったのね…?あんなに背負っていい歳じゃないよほんとに…ウッ
— すずき (@szi_su) February 2, 2022
海外では、『リロ&スティッチ』のリロを「自閉症スペクトラム(ASD)」や「ADHD」などの神経多様性(neurodiversity)を持った子どもの象徴として受け止める声が数多く見られます。
ディズニーが公式に「リロは発達障害です」と明言したことはありませんが、視聴者や専門家が自主的にそう読み取り、そのことをネットやメディアで紹介しています。
SNSや掲示板での反応(一部抜粋・翻訳)
海外のファンや視聴者の間でも、リロの発達障害に関する話題は散見されます。その一部をご紹介します。

前に誰かが“リロってほんとウザいガキだよね”みたいなことを大騒ぎしてたのを覚えてる。だけど違うの。彼女とスティッチは、私みたいな“ちょっと変わった神経多様な子どもたち”にとってのアイコンだったんだよ。
上記の投稿のようにリロの行動や言動に共感する声が多く上がっています。
他にも、
リロの行動を見ていると、まるでうちの娘のよう。自閉症の女の子として描かれているとしか思えない。
こちらは、自閉症の子供を持つ親が投稿した内容ですが、リロの行動が「まるで自閉症を持つ娘のよう」と感じたという投稿です。
リロは単なる“変わった子”じゃない。彼女はASDのリアルな描写だと思う。ディズニー映画でそれが見られたのは感動的だった。
確かに、ディズニー映画でこのような特別な子を主人公にするのはとても素敵なことだと思います。まるでみんなと違うけど、それでもいいよと言われているような感覚です。
今になって『リロ&スティッチ』を見直すと、リロがどうして孤独だったのか、子どもの頃より深く理解できた。あれは神経多様性そのもの。
そうですね。昔見た時は何とも思わなかったけど、大人になってから見直すと、なぜこんな行動をとっていたのか、などをより理解できますね。
海外メディアや評論家も注目
海外のYouTubeやブログでは、『リロ&スティッチ』を自閉スペクトラム(ASD)や神経多様性の視点から分析する動画や記事がたくさんあります。以下に具体的な例をご紹介します。
Youtube動画の「Autistic Princess Profiles」では、リロを自閉症のアイコニックなキャラクターとして紹介しています。分析の深さと共感を集めている人気動画です。詳しくはこちら:youtube
こちらのブログ(aureliaundertheradar.wordpress.com)では、リロと姉のナニは自閉症の子供とそのケアラーの関係と言っており、「リロの物語は、自閉症の子どもたち(あるいはかつて子どもだった自閉症の大人たち)やそのケアをする人々にとって、非常に共感しやすいものです。」と書かれています。
upworthyの記事では、リロが神経発達障害の象徴になった経緯に関する記事もでています。
海外では“Neurodivergent representation(神経多様性の描写)”という切り口でリロ&スティッチが評価されることも増えています。
神経多様性(neurodiversity)とは?
神経多様性とは、「脳や神経の発達にはいろいろなタイプがあって当然」とする考え方です。
発達障害やADHDなども、“異常”ではなく“違い”として捉える姿勢が、欧米を中心に広がってきました。
リロはその中で、「誰とも違うけど、それが魅力」として描かれており、
ディズニー映画の中でも稀に見る“個性の肯定”を体現したキャラクターとして、多くの人に勇気を与えているのです。
リロだけじゃない!スティッチも「ADHD」?
さきほどお話ししたように、リロは周りの子どもたちとちょっと違っていて、学校でも浮いていた存在でした。でも実は、彼女だけじゃなく、スティッチもまた「理解されない存在」として描かれているんです。
スティッチは、もともと「破壊するために作られた実験体」。地球に落ちてきたとき、誰にも受け入れてもらえず、暴れてばかり。でもその裏には、不安や孤独、そして“どうしていいか分からない”という感情があったのかもしれません。
スティッチがADHDと思わせる行動
スティッチの行動を見ていると、「ADHD(注意欠如・多動症)」のような特性を感じさせる部分もあります。
- 落ち着きがなく、衝動的に動いてしまう
- 感情のコントロールが難しく、すぐに手が出たり暴れたりする
- でも、ひとたび安心できる存在を見つけると、とても強い愛情を持つ
こうしたスティッチの姿に、自分自身や身近な人の姿を重ねて見る人も多いのではないでしょうか。
違いを理解し合うふたり
そんなスティッチを、リロは最初から「かわいそうな存在」としてではなく、“家族になれるかもしれない相手”として受け入れようとします。
そしてスティッチも、リロの無条件の優しさに少しずつ心を開いていきます。
社会の中で「普通じゃない」とされてしまうふたり。でも、だからこそお互いのことをわかってあげられた。そして一緒に過ごすうちに、居場所ができて、家族になっていった。
リロとスティッチの関係は、「似た者同士が出会ったからうまくいった」だけじゃなく、「違っていても、わかり合えるんだよ」という希望の物語でもあると思います。
誰かと違うことは、悪いことじゃない。
むしろその「違い」が、誰かと深くつながるきっかけになるかもしれない。
そんな優しいメッセージが、この映画には詰まっているんじゃないかなと感じます。
専門家がリロを診断「神経多様性」の表れ
こちらのYouTube番組「Cinema Therapy」で、アメリカの認可セラピスト、ジョナサン・デッカーさんが『リロ・アンド・スティッチ』のリロについて、興味深い視点から語っていました。
この動画ではリロの行動を、「神経多様性(neurodiversity)」という観点から読み解いているんです。
「神経多様性」とは、ざっくり言うと、“脳の働き方や感じ方が人それぞれ違っていいよね”という考え方のこと。発達障害(たとえば自閉症など)もそのひとつとして含まれます。
リロの神経多様性と一致する点
デッカーさんは、リロのいろんな行動が、自閉症スペクトラムの人たちに見られる特徴と似ている部分があると話しています。
先ほども取り上げましたが、たとえば…
リロがエルヴィス・プレスリーにめちゃくちゃハマってるところ。これは「特定のものに強くハマる」という特徴と似ている。
毎日、魚のパッジにピーナッツバターサンドをあげるルーティンも、自閉症の人に見られる“決まった習慣を大事にする”傾向と重なる。
それに、リロが感情を抑えきれずに噛みついたりする行動も、「感情のコントロールが難しい」人たちの特性に近いかも、とのこと。
もちろん、デッカーさんは「リロが自閉症だ」と断言しているわけではありません。
あくまで、そういう傾向が“見て取れる”という視点であって、医学的に診断されたわけではないです。
ディズニーがそういう設定で描いている証拠もないので、あくまで“ひとつの見方”として語られているんですね。
でも面白いのは、リロのそうした“ちょっと変わったところ”が、物語の中で否定されるのではなく、むしろ魅力として描かれていること。
リロは、周りとうまくなじめなかったり、ひとりぼっちだったりするけど、それでもまっすぐに物事を見ていて、心の奥に優しさや純粋さを持ってるんですよね。
オハナ(=家族)は誰も見捨てない
スティッチという、まさに“普通じゃない存在”に誰よりも早く心を開いたのも、リロ。
その姿にデッカーさんは、「リロは、神経多様性を持つ人たちが見せる深い感受性や洞察力の持ち主なのかもしれない」とも語っていました。
映画のテーマ「オハナ(=家族)」もポイント。
血のつながりに関係なく、“大切な存在を受け入れること”の大切さを伝えていて、リロとスティッチの関係は、まさにそれを象徴しています。
たとえ「普通」じゃなくても分かり合える。
そのメッセージが、多くの人の心に刺さるんじゃないかなと感じました。
リロはただの“変わった子”じゃなくて、「こういう子もいていいよね」って思わせてくれる存在。
デッカーさんの分析は、そんなリロを通して神経多様性への理解を深めるきっかけになればいいな、と締めくくっていました。
リロ&スティッチを通して見えてくる“違うこと”の価値
『リロ・アンド・スティッチ』は、「変わっていること=悪いこと」だという思い込みに、優しく問いかけてくれる映画です。
リロは学校でも周囲とうまく馴染めず、「変な子」と見られてしまうことが多いけれど、それでも彼女は自分の感性を曲げずにまっすぐに生きています。そしてその姿は、見ている私たちに「それでいいんだよ」と語りかけてくれるようにも感じます。
この“違いをそのまま受け入れる”というテーマは、自閉症や発達障害など、神経多様性を持つ子どもたちにとって大きな励ましになります。
イーロン・マスクも発達障害
実際、アインシュタインやニュートンなど、歴史を動かしてきた偉人たちの中にも自閉スペクトラムの傾向があったと言われていますし、現代ではイーロン・マスクが自ら「自閉スペクトラムである」と公表しています。
つまり、「人と違うこと」は決して劣っているわけではなく、むしろ新しい価値を生み出す源にもなるということ。
「みんなと違ってもいい」というメッセージ
多くの子どもたちは「変わっているから」といっていじめられたり、疎外されたりしてしまうのが現実です。
そんなとき、この映画のリロのようなキャラクターがそっと寄り添ってくれることで、「わたしも、これでいいんだ」と思える瞬間があるかもしれません。
『リロ・アンド・スティッチ』は、特別な誰かのためだけの映画ではなく、“すべての人の違いを肯定する”優しい物語。
だからこそ、自閉症や発達障害を持つ子どもたちだけでなく、大人にとっても大切なメッセージが詰まっているんです。
「みんなと違う自分」に悩んだとき、ぜひもう一度この映画を観てみてください。
リロのように、“ちょっと変わったままでも大丈夫”と教えてくれるはずです。
まとめ|“違い”を愛することの大切さを教えてくれる映画
『リロ・アンド・スティッチ』は、ただのかわいい宇宙人とのドタバタコメディではありません。
この映画の中には、「普通とはなにか?」「家族とはなにか?」「違っていることは悪いことなのか?」といった、私たちが日々直面する問いに優しく寄り添ってくれるメッセージが詰まっています。
リロは周囲から“変わってる子”として見られ、スティッチは“危険な存在”として追われます。そんなふたりが出会い、ぶつかりながらも心を通わせていく姿は、「違うからこそ理解し合える」という深いテーマを描いているのです。
そして何より、この物語が静かに伝えてくるのは、「誰もが居場所を見つけられる」という希望。
たとえ他の人と違っていても、特性があっても、感情のコントロールが難しくても──誰もが“オハナ(家族)”になれる。
この映画を観終わったあと、少しでも「違っていいんだ」「自分らしくいていいんだ」と思えたら、それが一番のギフトかもしれません。
子どもと一緒に、大人が観ても心に刺さる。
『リロ・アンド・スティッチ』は、まさに“多様性を自然に描いた名作”として、これからもっと多くの人に届いてほしい作品です。