リロアンドスティッチの実写版を映画館で鑑賞してきました。
正直、最初は「スティッチを実写でどう再現するんだろう?」とちょっと不安もありましたが、観終わっての率直な感想は……すごく良かった!
アニメ版のあの可愛さやコミカルさはそのままに、実写ならではの“現実感ある痛み”や“優しさの重み”が、より深く伝わってきた気がします。
特にリロとナニの姉妹の関係や、スティッチの孤独と葛藤は、アニメでは描ききれなかった“生っぽさ”があり、思わず涙ぐんでしまう場面も。
この記事では、そんな実写版『リロ&スティッチ』について、
あらすじ、感想、そして深い考察までしっかり書いていきます。
ぜひ最後まで読んでみてください。
目次
【実写版】リロ&スティッチのあらすじ
ハワイの小さな島。少女リロは、事故で両親を亡くし、19歳の姉ナニと2人で暮らしている。
ナニはリロの保護者として奮闘しているが、生活は苦しく、リロの“ちょっと普通とは違う”行動にも振り回されている。学校では孤立し、フラダンス教室でも馴染めないリロ。そんな中、ナニとのすれ違いも深まっていく。
一方、宇宙では“破壊のためだけに作られた兵器”スティッチが、捕獲から逃れ、地球へと墜落。彼は“犬”として保護され、偶然リロと出会うことに。
スティッチは破壊衝動を抑えきれず、最初はリロの周囲を混乱に陥れるが、次第に彼女の無条件の愛情と、「家族=オハナ」という価値観に触れていく。
リロとスティッチ、そしてナニの関係は、少しずつ変わり始める。
「オハナは、誰も見捨てたりしない」
この言葉が、壊れかけた家族を、再びつなぎなおしていく――。
【実写版】リロ&スティッチの感想|「普通」じゃなくても、愛されていい。

実写版でも、リロはアニメ版と変わらず、とても個性的で、どこか“生きづらそうな子”として描かれていました。
フラダンス教室では浮いてしまい、いじめっ子を衝動的に観客の前で舞台から突き落としてしまう。姉のナニに怒られたときには、本気で叫んで感情を爆発させる。これは単なる「わがまま」や「扱いづらい子」ではなく、今でいう発達障害の兆候を感じさせるリアルな描写だと私は感じました。
そんなリロを実写版でも“変える”ことはしなかったところは、ディズニー映画の素晴らしいところだと思いました。アニメ版よりもよりリアルに描かれているようにすら感じました。
リロはリロのまま、大切な存在として描かれていた。
それがすごくよかったです。リロ役のマイア・ケアロハちゃんの演技もすごく役にはまっていました。
ナニもまだ若く、自分だって子どもに近い年齢で、両親を亡くし、突然「親代わり」にならなければいけなかった。夢だったサーフィンも諦め、生活のために働きながら、リロのために必死に踏ん張っている。
でもリロには、そんなナニの事情なんてわからない。大好きだからこそ、発表会に来てくれなかったことを責めてしまう。
この「どうしても分かり合えない感じ」――でも本当は大切に思っているという関係が、実写版ではすごく丁寧に描かれていました。
そして、そこに突然現れるスティッチ。
彼は“破壊兵器”として作られた存在で、自分をうまくコントロールできず、無意識に周囲に迷惑をかけてしまう。でも、リロだけはスティッチを見捨てなかった。
だからスティッチは、自分のせいでリロや家族が傷つくなら離れようとする――その葛藤が、CGによってよりリアルに、より切実に伝わってきました。
【実写版】リロ&スティッチの考察|「オハナとは何か?」“普通”じゃない子をどう受け止めるか
リロ「お姉ちゃんはママにならなくてもいいよ。だからあたしもウサギにならなくていいよって言って」
— アンク@金曜ロードショー公式 (@kinro_ntv) June 6, 2025
ナニ「ウサギなんかより、ずっと好き」#リロアンドスティッチ #金曜ロードショー pic.twitter.com/d7gBrIFL0t
『リロ&スティッチ』の本質的なテーマは、「オハナ(家族)」です。
でもそれは、血のつながった家族だけを指しているわけではありません。
ナニとリロは血縁上の姉妹ですが、ナニは“親代わり”としてリロを育てようとし、時に失敗しながらも必死で頑張っています。そして、隣人のトゥトゥやナニの友人デイビッドも、実際には家族ではないけれど、リロとナニを支える存在として描かれている。
この映画は、「支え合う存在がいれば、それはもう“家族”なんだよ」ということを教えてくれます。
スティッチは、最初はただの“異物”です。危険で、制御不能で、みんなに迷惑をかける。
でも、リロだけは彼を排除せず、受け入れる。
なぜなら、リロ自身も「周囲にうまくなじめない」「ちょっと変わっている」存在だから。
“普通じゃない自分”を受け入れてほしいと願っているからこそ、スティッチを見捨てなかった。
日本社会の“普通信仰”
ここで、私たちが生きている日本社会をふと振り返ってみると、リロのような子どもは「問題児」や「障害」といったラベルを貼られがちです。
学校でも、社会でも、「みんなと同じようにできること」「協調性があること」が求められ、それができない人は“扱いづらい”とされてしまう。そして“支援”という名の下で、型にはめようとされる。
でも、本当にそれだけが正解なのでしょうか?
リロのような、周囲に理解されにくい特性を持った子どもが、「あなたはそのままで大丈夫だよ」と言ってくれる誰かに出会えるかどうかで、人生は大きく変わるのだと思います。
スティッチだって、もしリロに出会っていなければ、「ただの破壊兵器」として一生を終えていたかもしれない。
【実写版】リロ&スティッチのまとめ|オハナは、誰も見捨てない
この作品が繰り返し伝えてくれるメッセージがあります。
“Ohana means family. Family means nobody gets left behind or forgotten.”
「オハナは家族。家族っていうのは、誰も置いていかないし、忘れたりもしない。」
“普通”じゃないことは、悪いことではない。
家族とは、血のつながりだけでなく、「見捨てない」と誓える存在のこと。
そして、誰かを受け入れることで、自分もまた救われていく――。
実写版『リロ&スティッチ』は、そういう深くて、やさしい物語でした。