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『リロ&スティッチ』のナニがかわいそうと言われる理由|ナニの育児と“ADHD児の保護者”との共通点を徹底考察!

ディズニー映画『リロ&スティッチ』を観て、「ナニってかわいそうすぎる…」と思った方は少なくないはずです。

両親を亡くしたあと、まだ若いナニは7歳の妹リロを引き取り、自分ひとりで育てようと必死にがんばります。しかしその奮闘ぶりは報われることが少なく、映画の中でも「保護者失格」扱いされるシーンが多く描かれています。

ですがよく見ると、ナニが直面している育児の困難は、発達障害(特にADHDやASD)を持つ子どもの保護者が抱える悩みと非常に似ています。

この記事では、「ナニがかわいそう」と言われる背景を丁寧にひもときながら、発達障害児の保護者とナニの育児との共通点を考察してみたいと思います。

ナニが「かわいそう」と言われる理由

Disny公式より引用

物語の冒頭で明かされるように、ナニとリロは両親を事故で亡くしています。ナニは19歳という若さで、急に妹の保護者になります。

■ リロの“ちょっと普通じゃない”行動に振り回される

リロは空気を読まず、奇抜な行動をとることがしばしばあります。突拍子もない発言をしたり、すぐに感情的になって暴れたり、他の子とうまく関われなかったり…そんな妹にナニは一生懸命寄り添おうとしますが、うまくいかないことも多く、つい怒鳴ってしまうことも。

このような日々の中で、ナニは「良い保護者じゃなきゃいけない」というプレッシャーと、「でももう限界」という感情の板挟みに苦しんでいきます。

■ 社会からの誤解と孤立

物語では、福祉局の人間が何度もナニを訪問し、リロを「普通の家庭」で育てるべきかを判断しようとします。ナニは「誰よりもリロのことを分かってるのは私だ」と必死に訴えますが、社会からは「未熟な保護者」「育てる力が足りない」と見なされがち。

このように外部からの誤解とジャッジにさらされ続けるナニの姿は、発達障害児の親が直面する現実と非常によく似ています。

リロは発達障害児?その特徴をひもとく

ナニの苦労を語る上で欠かせないのが、「リロという子がどんな特性を持っているか」です。映画では明言されていないものの、リロは発達障害(ASDやADHD)に共通する特徴をいくつも示しています。ここでは代表的な場面を見ながら、リロの“特性”を整理してみましょう。

■ コミュニケーションのズレや空気の読めなさ(ASD傾向)

リロは周囲との関わりに難しさを抱えています。特に同年代の女の子たち(特にマートル)からは浮いた存在として見られており、何をしても「変な子」と扱われています。

  • 「私は友だちだと思ってる」と本人は言いますが、実際には仲間はずれにされている
  • 「私の人形はスクランプっていうの。頭の中に虫が入ってる」など、独特な言語感覚を使う
  • 社会的文脈よりも、自分の興味や思考で話を進めてしまう傾向

これはASD(自閉スペクトラム症)の子どもによく見られる「空気が読めない」「言葉の裏の意味を汲みにくい」といった傾向と重なります。

■ 感情の起伏が激しく、身体的に爆発する(ADHD傾向)

リロは怒りや不安を感じると、感情をコントロールするのがとても難しくなります。

  • 幼稚園で同級生に飛びかかって殴る
  • 家でナニに「ノーッ!!!」と絶叫しながら床を転げ回る
  • 絶望的な気持ちになると、音楽をかけてベッドに閉じこもる

これはADHDの「衝動性」や「感情調整困難」の特徴に当てはまります。さらに、強い刺激に対して過剰に反応してしまうのもASDの側面として見られることがあります。

■ 強いこだわりやマイルール(ルーティン)への執着

リロは“Pudgeという魚にサンドイッチを毎日与える”という行動を欠かしません。これは、ただの遊びではなく「やらなきゃ不安になる」強迫的なこだわりのようにも見えます。

  • 「Pudgeは天気を操る魚なの。だからエサをあげなきゃ大変なことになるの!」
  • ダンスの順番を飛ばされることに激しく反発し、「今日は踊らないとダメなの!」と懇願する

これらの行動からも、ルーチンやパターンに安心を求めるASD的特性がうかがえます。

詳しくはこちらの記事もご覧ください↓

「ADHD児の保護者」としてのナニのリアル

リロの特性を理解すると、ナニの苦労が「単なる育児の大変さ」ではなく、発達障害児を育てる保護者のリアルと重なるところが見えてきます。

■ 子どもの爆発を防ぐため、ナニは常に先回りして気を遣っている

  • 保護施設の職員がリロをからかいそうになると、ナニはすぐに遮ってリロをかばう
  • Mr.バブルスの訪問中、リロが暴れないように不自然に明るく振る舞う

これは発達障害のある子どもを育てる親にとって、「地雷を踏まないように日々調整する生活」を強く想起させます。

■ 社会の“普通”に適応させようとするも、本人の個性に苦悩

ナニは何度も「普通の家庭として認めてもらう」ことを目指しますが、リロの自由奔放さ・感情の起伏・奇抜な行動に阻まれてしまいます。

  • 頑張って仕事を見つけても、リロのトラブルでクビになる
  • 一生懸命ダンス教室に通わせても、本人が暴れて意味をなさない

これは、定型発達(普通)の枠に子どもを無理に当てはめようとして、苦しむ親の姿に重なります。

■ ナニを助けたいリロ

また、ナニが「良い保護者」として家庭を見せようと奮闘する中で、特に印象的な場面があります。

それは福祉局の調査員が家庭訪問に来たとき、リロがナニの身ぶりや表情を見ながら、ナニの“望む答え”を返そうと必死になるシーンです。

リロは明らかに不自然な笑顔で「うまくやってます」と言いますが、その受け答えはチグハグで、逆に“無理してる感”がにじみ出てしまいます。

このやりとりは、発達障害のある子どもが保護者の意図を察しすぎて、自然な振る舞いができなくなる姿を象徴しています。リロはナニの身ぶりや表情を見て、「こう言えば、お姉ちゃんが怒られないはず」と必死に空気を読もうとします。

ナニもリロも、“家庭を守らなければ”というプレッシャーの中で、知らず知らずのうちに本来の親子関係を超えた役割を背負わされているのかもしれません。

「家庭崩壊」ではなく、“家族の再定義”として描かれた物語

『リロ&スティッチ』は一見すると、「親がいなくなり、妹が問題行動を起こし、姉が育児に疲弊する」という“家庭崩壊”の物語にも見えます。しかし、この作品が評価される理由は、そこから新しい形の家族の絆を見せてくれる点にあります。

■ 「普通の家族」ではない、でも“オハナ”でつながっている

ナニは、リロの特性をコントロールしようとするのではなく、“そのままのリロ”を守ろうとする姿勢を崩しません。そしてその絆は、突如現れた“ペット”ことエイリアンのスティッチをも巻き込み、「血のつながらない存在」も含めた家族として、再定義されていきます。

作中で何度も語られる「オハナ(家族)は見捨てない」という言葉は、“わかりにくい存在”を含めた包括的な家族像を象徴しているのです。

■ 保護者が「完璧」でなくてもいいというメッセージ

ナニは仕事も失い、家もうまく管理できず、妹に怒鳴ってしまうこともある。「良い保護者」としての理想からは程遠い存在かもしれません。

でも、『リロ&スティッチ』はそんなナニを否定せず、「それでも家族でいられる」という、ありのままを肯定するまなざしを向けています。

これは、発達障害児の親にとって大きな慰めとなるメッセージです。

「がんばっても全部うまくいかない」日々でも、“理解しようとすること”そのものに価値がある

ナニの姿は、そう教えてくれます。

終わりに|ディズニーが『リロ&スティッチ』で伝えたかったこと考察

ディズニーはこの物語を通して、「家族とは何か」「助け合うことの意味」を、決してキレイごとではなくリアルな葛藤を交えて描いています。

そこには、あえて設定された特別な子ども(リロ)と、未成年の未熟な保護者(ナニ)、そしてそのふたりを見守る福祉局という“第三者”の存在が大きく関わってきます。

最初、ナニは親代わりとして、すべてを一人で背負い込もうとしました。

「この子は私が守る」「家族だから、私がなんとかしなきゃ」――そう思い込むことで、周囲の人々からの支援の手を、無意識に遠ざけてしまっていたのです。

隣人のおばさん、デイヴィッド、そして福祉局――彼らは実はみんな、ナニに“助けを求めてほしかった人たち”でもありました。

そしてそこへ現れたのが、手に負えない“異物”であるスティッチ

最初はナニにとってストレスの源でしたが、実はナニの限界を可視化させた存在でもありました。

スティッチの登場でナニは、ようやくキャパオーバーを自覚し、外に助けを求めざるを得なくなります。

でも、それでよかった。

助けを求めた先には、すでに差し伸べられていた手があったのです。

そしてそれは、ナニにとってもスティッチが“救い”の存在だったことを意味しています。

リロの言葉、「オハナは家族。家族は見捨てない」は、血のつながりだけでなく、

困ったときに支え合える関係こそが“本当の家族”であることを教えてくれます。

『リロ&スティッチ』は、ただの「かわいいエイリアンと少女の物語」ではありません。

それは、1人で家族を守ろうとしている、1人で全てを抱え込んでいる人たちへのエールであり、

ディズニーは「ひとりで頑張らなくていい。助けを求めることは、強さのひとつ」という、メッセージを伝えようとしていたのではないでしょうか。

最後まで読んでいただきありがとうございました。